共通の敵に対する共感

共通の敵に対する共感というのは強く絆が結ばれる効果があると思う。より正確に言えば共感し合う話題の中でも「共通の敵」という話題は絆が深まる効果が「特に高い」のだと思う。具体例としては職場に嫌な人がいたりして、その人への陰口をして共感しあう関係なんかがそう。

自分もかつて職場内にいた宗教関係者による迷惑勧誘を受けた人らで情報交換などした時にも、「そうそうそう!そうなんだよね!」という感じで共感から親近感が強まり、この効果を強く体感した。

でも仲良くなる為に陰口対象をダシに使うのはどうかと思う。陰口対象の問題点を認識している人との間で話題にするなら良いというわけではないけど、認識していない人にまで広めてどんどんと仲間にしていくと、それによって陰口対象はどんどんと孤立していく。極端に言えばこの行為は「犯罪者に人権など無い」、「犯罪者に対しては何をしても良い」という考えだと思う。(そもそも「仲良くなる為」という理由以前に陰口は良くない)

しかし他人の嫌な部分を誰かに喋らずにはいられずにそこら中に話しまくる人というのは結構いるように思う。本人としては「共感者(仲間)を集めたいから」とか「陰口対象を孤立させたいから」というように具体的には考えていないだろうけど、真意的にはそういう理由の人が大半じゃないだろうか。

そう考えると、この行動はヒトの本能的な行動と思え、とするとこれを自制するのはなかなか大変な事だろう。しかも恐らく大半が「私は正しい事(指摘)を言っている」という考えから悪い事とは微塵も思っていない。具体的に言えば「正しい事を言ってる」のだから、それによる悪影響があるかを考える事は不要とばかりに思考停止してると思う。


#2011/11/9追記
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「人の絆を傷つけてはいないか」