東京電力ってそこまで叩かれないといけないのか

東京電力が叩かれ、賠償金を支払う事になっている事態がいまいち腑に落ちず、似たような架空の例を想像してみたりし、なぜ叩かれているのかを考えていた過程を書いておくことに。


まず東京電力が叩かれている理由ですが、情報公開が遅いだの、混乱する情報を流したりなど、色々とあるものの、主としては放射能が漏れ、住民に多大が迷惑をかけた事が理由。放射能汚染により、住む場所を奪われ、人体への被害という事態にさらしたのだから責任を取れと。
人々の生活に必要不可欠な電力を作っているとはいえ、見方を変えれば東京電力も利益のために商品を作り、販売している会社と変わらない。もしもこれが人々の為だけに行っているボランティアだとしたら、想定外の問題により、人々に被害が及んでも、まだ仕方が無いと思えるものの、実際には利益目的で行っているものであるから、被害を被う人々も怒りたくなる、と。


ここで商品(会社)を変えて考えてみる。顕著な例ですが、例えば「包丁」としてみる。もし殺人犯に包丁で刺された場合、被害者としての怒りの矛先としては間違いなく犯人であろう。
今回の東京電力の件だと事の発端であるところの「犯人」は地震であるが、しかし地震はもうこの世にいないというか、責められない相手である。だからというわけではないけど、怒りの矛先は犯人によって凶器と化した「原子力発電所」を作った東京電力に向けられている。

包丁のケースにおいて犯人はいなくなってしまったとした場合、その矛先を凶器と化した「包丁」を作った包丁メーカーに向けられるのではないのか。「どんな大きい地震があろうが被害に遭わないように作れ!」というなら、「殺人の凶器に使われても人は傷つけられないように作れ」となるのではないか。


と、そんな事を考えていたのだけど、実際問題は下記でしょう。

今回の地震津波が想定外と言われているものの、それでも叩かれているということは、設定された「想定」ラインが甘いという言い分になる。実際にはそう口にだしているわけではないけれども。
じゃあ想定というのはどこに設定すればいいのか。起こりうる可能性がゼロではない事は全て想定内として、対策をしておかなければならないのか。


しかし現実問題それは不可能であり、企業側で資産と相談した妥協点を設けるしかない。自ら設けた妥協点であるのだから、それを超えた事態が起きてしまった場合は責任を取らなければならない。今回の件ももっと妥協を控えてお金をつぎ込んでおけば、被害は抑えられ、賠償金よりも軽い対策費で済んでいた・・・そういう事なのだろう。


SONYPlayStation Network不正アクセスによる7700万人分の個人情報流出にしても、SONYとしてはいくらの損害になったかわからないけれども、それも事前にもっとお金をかけてセキュリティを高めていれば防げていたかもしれず、結果的には出費額は少なく済んでいたのかもしれない。


ここでもう一度話を戻して先の包丁の例のように、別な例をもう一度考えて見る。
地震が起きた事でビルが倒壊し、側を通りかかった人が下敷きになったとする。もしくは隣の一軒家が下敷きになったとする。包丁のケースよりも東電のケースに近いと思う。この時、下敷きになった被害者はビル側に責任を取れと言うのだろうか。
漠然とした予想ですが、上記の例の場合は今回の東電のように叩かれないような気がする。

また今回の件で原子力発電所の存在に対して反対意見の声高に荒らげている人のいくらかは、お祭りのように叩かれている状況に乗じて、知識も無く、反対派が正義だとして言ってる人じゃないかと思う。今年の地震での影響は確かに凄まじいものだったとは言え、そこまで強く非難するのであれば、それなりの知識を得た上で、自分の意見を生み出した方が良いと思う。原子力発電はそれ以外の発電には無い多くのメリットがあるし、今までの贅沢なまでに無駄遣いしていた電力をまかなうのに、安全と言われる発電方法だけでは難しい現実であるなど、諸々を含めて。
もちろん賛成する側も、想像を絶する心中の被害者らの声に耳を傾けた上で判断した方が良いでしょう。
一方聞いて沙汰するな、です。