自分なりの表現のカタチを探す

Chikirinさんの日記の「自分の表現法と出会う」にて、人それぞれの表現方法があるという記事を読んだ。人によってはプレゼンテーションツールはPowerPointよりもプログラムの方が良いという例も紹介されており、これもまたその人の表現の一つであると。そして表現方法にはどんなものがあるかと列挙されていて、会話や文章であったり、写真などの趣味であったり、もちろんプログラムも列挙されていた。


余談ですが、アジャイル・ソフトウェア開発もプログラムという実物を披露して皆に理解させるというポイントを含んでいる事を思い出した。アジャイル・ソフトウェア開発とは総合的な開発手法の一つで、長期開発期間を細かく分けて、一つ一つの期間毎に一つの機能を追加開発してリリース出来る形(動く形)に仕上げる事を目指しており、この狙いの一つが関係者達が進捗状況を把握するのに紙だけではイメージしづらいところを、「動くもの」があればイメージしやすく、方向性の調整しやすくなるというもの。


閑話休題。人間は皆、自分の中に何かを持っていて、この好きな物事や特技などを好きなように表現できて良いと思うのだけど、そこで思った。しかし何でも表現できるというわけではないなと。

例えばゲーム大好き人間がいて、苦労して磨き続けた腕前を多くの人に対して表現したい、見てもらいたいとする。この時、攻略記事なり試行錯誤の過程などを文章化して発信するのは一つの表現方法だけれども、それでは人によってはイメージできない。そこでてっとり早いのがゲームプレイ動画を配信することでしょう。でもこれは著作権があるせいでNGとなってしまう。

確かに曲なり内容なりが配信されれば、未購入者はそれで満足となって購入されない可能性やネタバレで楽しめなくなってしまう原因になるけれども、全てが全てでは無い。CMよりも遥かに魅力が伝わって、購買意欲が膨れ上がるものにもなりえる。筆者も下手なプレイやムービーシーンばかりを見せられる面白みが薄い多くのCMで欲しくなったケースはほとんど無く、ファミ通DVDに収録されたやり込み映像の方が遥かに見ていて熱くさせられ、幾度と無く見終わった後に我慢出来ずにゲームショップに走ったことか。

それはさておき、PS3のゲーム「ゴミ箱」は1プレイ毎に映像をYouTubeに投稿する機能をタイトル自信が持っているゲーム。このゲームのように、プレイ映像の動画配信を公式で認めるケースはもっと増えていってほしいと思う。ややこしくはなるものの、ここからここまではOKという部分的なものでも良いと思う。ゴミ箱のように内部的に録画、投稿機能を持っていれば、公開して良い範囲も限定出来るし、画質や音質もタイトル側で公開を許せる範囲を指定することもできるでしょう。


また話をChikirinさんの日記に戻して、表現方法として例に挙げられたものの大半が、義務教育の過程でほとんど体験しているなと書かれているのを見て感心しました。文章を書いたり、絵を描いたり、歌を歌ったり、演技をしたり。

義務教育範囲の授業というのは、単なる知識を教え込ませるだけでなく、もっと精神的な事を直接的なり間接的な形で感じさせ、気付かせる為の意図が無数に散らばっているのだなと、大人になって気付かされました。今となっては「もっと学生生活を噛みしめておけばよかった」などと思っても後の祭り。学校に通う子供に対して、有り難みを伝えてもうまく飲み込めないだろうし。

何はともあれ、大人になってからでも遅くはないと思います。趣味なり何なり、夢中になれるものとまでは行かずとも、自分が楽しいと思えることをより深く楽しんでみたりして、その対象なりの形にして残してみるのは、自分自身を表現することにも繋がり、同時に自分の魅力を引き出させることに繋がるのではないかと思います。