近況報告とAll You Need is Killの漫画→映画を見た話

久しぶりに更新。
昔ここを見てくれていた知り合いが、この更新に気づいてくれるのかあやしいところですが、細々と更新再開して行ければなぁと思う次第。


◆軽く近況報告◆
去年から潰瘍性大腸炎になりました。突然症状が現れ出し、検査入院の結果、そのように診断された次第。
『難病』に指定されているため、医療控除は受けられるものの、簡単には治るものではないため、末永くこの病気と付き合って行かなければなりません。
仕事などは行けてますし、スポーツなども問題無く出来る至って健康体な感じではあるのですが、厄介な要素があったりしてやや気を遣う生活になりました。


病気の事はさておき、相変わらず「ゲーム」「カメラ」人間です。
Watch Dogs」がとても気になったことと、「サイコブレイク」や「Destiny」も出る事で、ようやく買う価値を感じられたPS4も最近購入。


デスノート作者の新作マンガを薦められた話◆
当初同僚から「デスノートの作者の新作がコミックで出てて、今話題だよ。デスノート好きなんでしょ?」と教えてもらいました。
自分は知力バトルであったり、天才的な頭脳で絶体絶命を切り抜けて驚かせてくれるような、そんな作品が超々々々大好物です。
そんなわけで自分の好みの作品傾向を説明する際には「デスノートみたいなやつ」と名を挙げるほど、デスノートが好きだったりします。


同僚もその事を知ってるはずなので薦めてくれたんだと思い、早速作者の新作を検索してみることに。


・・・・(検索中)・・・・


スキップ!山田くん』というタイトルなのか。


ということで全2巻発売中と同僚が言ってた「スキップ!山田くん」を本屋で探してみるも見当たらず、同僚に「スキップ!山田くん、無かったんだけど」と言うと「全然ちがうわ!w All You Need is Killだ!w」と。


自分はデスノートの作画はトップクラスに素晴らしいと思うけれども、自分がデスノートを好きな理由は原作者の方なのです。なので原作者である大場つぐみさんの新作を探して「スキップ!山田くん」に行き着いていた次第。

というわけで正直、少しがっかりして手に取った「All You Need is Kill』でしたが、話題作であり、映画化される理由も感じられて、非常に面白かったです。


で、ここからが本題。


All You Need is Kill。漫画→映画を見た感想◆
以下、両作なるべく面白みが欠けるようなネタバレは避けて書きますが、少なくとも漫画の方は読んでないと、自分が書きたい要素はわかりづらいかもしれません。


漫画を読み終わった後に映画も見てきました。

漫画の方はキャラやシーン展開など、如何にもライトノベル的な感じなので、トム・クルーズが主演を務めるような洋画にするにはイメージが離れすぎてて、だいぶテイストはアレンジされてるだろうなとは思ってました。


【珍しいトム・クルーズ
確かに予想通りテイストはだいぶアレンジされてるのですが、主人公の「最初は頼りない感じから、悟りでも開いたかのようにたくましくなっていく」感じは削れない作品上、削れない要素ですから、序盤には主演を務めたトム・クルーズの珍しい腰抜けキャラが序盤に見られたのは、貴重に感じました。


【映画版が大事にしてるのはリアル感と緊張感】
漫画は何でも有りですから、過剰な演出も多々有りました。ループを繰り返したとしても、知識や経験が蓄積されるだけであって、それだけでは説明できない超人的強さを獲得している部分など。

そこを抑えてなのか、映画版ではそこまで「超人的」な感じは薄くなってました。漫画では「無敵」と言っても良いリタや主人公でしたが、映画では超人的と言えるほどの強さは見られず、敵の動きが把握出来ていなければ「ギタイ」と「所詮人間」の『圧倒的な力の差』は残したままの演出でした。

なので、主人公たちの超人的な戦い振りを楽しみにしている人には物足りないかもしれません。しかしながら、その『圧倒的な力の差』を大事にした映画版では、それならではの緊張感が、特に後半に強く活かされた演出になっていて、これはこれで良いと自分は感じました。


ところで、作中、印象的に登場したある言葉が、その後の展開で活かされなかった点が気になってて、観賞した人と話題にしたいですが、身の回りに観に行った人がいません。。。

非純正品関連記事の補足

先の記事で、カメラと他社製レンズなどのような非純正品を使った事で起こる不具合について色々書いたけど、一部無茶なことを書いていたと反省。
先の記事を書いてる際にはカメラメーカーとレンズメーカーも多少は協力し、互いに製品向上を目指して欲しいものだ、なんて考えを書いてたけど、よくよく考えてもみればこの2社は競合している関係であり、極端に言えば敵であり、それに対して協力すれば良いのに、だなんて無茶な話だった。
ちなみにカメラと他社製レンズとの相性で不具合が起こるケースの場合、そのレンズが「キヤノン用」「ニコン用」と書いている以上は、相性問題に対する責任を持っている為、かけあうべきはレンズメーカーの方となる。
今回は不具合発生時はレンズが原因かもわからず、症状はカメラ側のみに見られたため、とりあえずはカメラメーカーに点検・修理に出したものの、メーカー側ではカメラ側に問題は見受けられず、念のため関連しそうな主要部品を交換したものの、帰ってきたカメラに問題のレンズを付けたら再現したため、このレンズが原因であることが濃厚となって、現在はレンズメーカーに点検・修理に回している段階。 再現性は低いので、直してもらえる可能性には非常に不安があるものの、ネット上には今回の問題が同様に起きている報告は全く見られないため、レンズ個体的な問題の可能性もありそう。

非純正品を使うことのリスク

最近、非純正品による不具合でメーカーとやりとりをした事で、この機会に非純正品についてつらつら書きたい。


【非純正品とは】
非純正品とは、ある製品に取り付ける部品を、製品とは異なるメーカーの部品を使うこと。例えばプリンタであればインク、カメラであればレンズを他社が出していたりする。


【非純正品の魅力】
非純正品というのは大抵の場合、純正品よりも安価に販売する事を目的に開発・製造しているケースが多い(それ以外のケースは後述)。


【非純正品のリスク】
非純正品を使うことのリスクは大きく以下の2つが考えられる。使う際にはこれらを納得の上で使わなければならない。

  • 純正品に比べて品質が劣る
    • 例えばプリンタ+インクの場合、純正品の場合は自社プリンタ向けに最適化されたインクを製造できるのに対し、プリンタの内部仕様を把握していない他社にとってはそれ以上のものを製造するのは難しい
    • また安価をウリにする分、コストもかけられない為に純正品に品質が及ばない等
  • サポートをフルに受けられない
    • 非純正品を使っていて問題が起きた際に、フルサポートを受けられないケースがほとんど


【今回自分がフルサポートを受けられなかったケースの話】
カメラ+非純正レンズにおいて操作不能になる問題が発生し、カメラメーカーに事情を説明して修理を求めたところ、メーカー側で再現を目指した検証を行い、再現すれば修理できるが、非純正レンズはサポート外のため受け取れないので、カメラ単品をお送り下さいとの事で、結局カメラ単品での検証結果は再現せず問題無しとして返却された。

今回の件は非純正レンズの影響が濃厚だけど断言は出来ない。しかし本当にレンズの影響だとしたら、このサポート体制である以上は問題はずっと残り続けることになってしまう。もしも同症状が多くのユーザーの間で頻発でもすれば、さすがにメーカー側も特別対応に動くかもしれないけど、どうも今回の現象はネットでは挙がってなさそうなので、期待は出来なさそう。


【非純正品は安価目的だけとは限らない】
例えばカメラのレンズの場合、純正品群ではカバーしていない機能・性能を持たせているものもある。それによって、よりカメラを引き立てる存在となっている非純正レンズも少なくない。

非純正品はフルサポートをしないメーカーの事情はわかるけど、敢えてユーザー側のわがまま的な心情を書くと、不具合が起きた際にフルサポートを受けられない目に遭う責任は、「安価」を理由に買ったのだとしたら自分のせいとして納得できるのだけど、上述の純正品群では力不足である為に非純正品を選ばざを得ないケースの場合、力不足なカメラメーカーのせい、とは言わないけど、心情的にそんな感じのモヤモヤ感が残る。

カメラメーカーとしても、そのような素晴らしい非純正レンズによって、カメラの売り上げが伸びているケースだって少なからずあるわけだし、メーカー同士で協力して品質向上を目指してほしいものです。


【非純正という言葉で片付けて良いのか】
カメラレンズの場合、例えばタムロンやシグマなんかが、キヤノンニコンのカメラ向けのレンズを出している。これらのレンズを「非純正(メーカー)のレンズ」という人もいれば、「レンズメーカーのレンズ」という人もいる。どちらも言葉としては全く間違っていないけど、前者は相性問題がある可能性や、フルサポートされない事を暗に示唆する意図が含まれた表現だと思う。この記事では要点をはっきりさせるために「非純正」という言葉を多用したけど、普段は後者のイメージで見たいものです。

ゲーム「オブリビオン」から考える自由度デザイン

今日はゲームにおける、プレイヤーが思った通りの事が実現できるという意味での「自由度」について思う事をつらつら。


ゲームというのは何でもかんでも出来るようにしてしまうと、簡単に開発者の想定外の範囲に足を踏み入る事が出来てしまい、そこには対策は施されていないので不具合が起こってしまう。ゲームが進行できなくなる問題すら起こりうる。その為、問題が起こりうるラインよりもかなり手前の段階で「出来る事」に制限をかけた作りをする。

それはもちろんわかるのだけど、しかし操作しているキャラクターの膝くらいの高さの段差も超えられなかったりするのを見ると、長年のゲームで慣れてはいるものの、冷静に考えてしまうと興醒めしてしまう。特にグラフィックがリアルに近づいているので、それに反比例する形でゲーム上の「仕方ない事」はおかしなものに見えてしまうもの。


ここで上述の流れの意味での「自由度」において感動した要素のあるゲームを紹介。


メタルギアソリッド
ゲームにおける自由度として究極的なのは、プレイヤーが「こういう事をしたら、こうなるのでは?(現実的にはそうなるのだから)」が実際やってみると実現できる事。このタイトルではその辺りが比較的多く実現できているタイトルと感じる。

例えば灯りが点いた蛍光灯。あれを銃で撃ったら消えるんじゃないか?そうすれば敵の視界も悪くなりそうだし、と思ってやってみると本当に消えて、敵の視力も落ちる。まあこれは最近のゲームではそれほど珍しくなくなってきたものの、蛍光灯が単なる背景として描かれてるだけで、銃で撃とうが殴ろうがどうにもならないタイトルの方が多いのがゲームの世界。


オブリビオンの話その1◆
このゲームはNPCにも攻撃できるし、一般的に言われる「自由度」という意味では非常に高い部類のタイトル。しかしそういう事よりも個人的に特に感心したのは、下記のような事が出来る事。

オブリビオンでは重要人物から一般市民など、全NPCがその世界で「生活」している。ゲームの中で時間の概念があり、NPCも一人一人が朝になれば目覚めて朝食を取り、家を出て仕事に行き、夜になれば家に帰ってきて食事をして寝る。そこでNPCが食事をする前に、こっそり食卓に並ぶ料理の中に毒リンゴを混ぜておくと、NPCはそれを食べてしまい、毒殺する事が可能。

この事が実現できた事で、プログラムの観点での仕様に感心した。通常のゲームであればレールから外れた事は出来ないようになっている。食卓に毒りんごを混ぜようとしたとしても、食べる料理は固定でプログラミングされており、食べているモーションを見せるだけ。しかしオブリビオンでのNPCの食事に関する仕様は、

  • NPCは自宅等にある信用あるものしか食べない
  • 自宅の戸棚やNPCの鞄に収納された食べ物が食卓に並ぶ
  • 食卓に並んだ料理を食べる
  • 食べた事による結果が起こる

となっているのだろう。他のゲームでは「食事をしている」事を見せる為の「上辺だけ」をプログラムしているのに対し、オブリビオンでは現実における人間が食事をする際の様々な思考パターンであったり、食べるとどうなるのか、という「根本」をプログラムする事で、食事をするという結果が生まれている。


オブリビオンの話その2◆
上述の通り、オブリビオンではNPCが生活しているのですが、他のゲームと違う点でもう一つ感動したのは「自分(主人公)を中心に回っている世界では無い」点。

大抵のゲームは自分中心に世界が回っていると言っても過言ではなく、見えている範囲でしか事件は起きない。しかしオブリビオンの場合は、例えばプレイしていてこんな事が起こったりする。

山道を歩いていると、名もわからぬ村人NPCが命を落として倒れている。これはその場所に行くと必ず発生する(発生している)イベントでは無い。ちなみにこれは山賊に襲われた結果。

上述のようにプログラムの観点で仕様を書くとこんな感じだと思う。

  • その村人は日中の行動として、仕事の為に村の間を行き来している(行き来するプログラムが組まれている)
  • 山賊は山道をランダムで歩き回っており、山賊以外の人間が近くにいたら襲い掛かる(襲い掛かるプログラムが組まれている)

この二つの無関係な仕様が、たまたま合致した事で発生した事件であるのだが、人一人の命がかかった大きな事件(イベント)だとしても、主人公中心で回る世界ではないので、主人公がその場にいなくても世界のどこかで起きてしまう。それがオブリビオンというゲームの世界なのです。

通常のゲームで山道に人が倒れていれば、それは開発者が意図して倒れさせてるわけで、その後に発展するイベントの一幕である所ですが、オブリビオンの場合はそれは開発者が意図してデザインした演出ではないし、当然イベントとして発展するわけではなかったりする。そこが妙にリアルであり、プレイヤーはその現場を見て、何が起こったかを察し、確かにそのNPCは「生きていた」事が逆に生々しく伝わってくるのが、このゲームの魅力ともなってると思う。


◆真に自由度のあるゲームのプログラミングとは◆
上述の事の総括となりますが、そういったゲームを開発する際の、プログラミングの観点での仕様としては「個々の演出をそう見せるためのプログラムを組む」のではなく、「現実の事物、現象・事象を再現するようにプログラムする」事だろう。しかしそれはプログラム的に無限とも言える量を書かなければ完全には再現する事ができず、不可能な話。とはいえ、少なからず様々な試みにチャレンジしているタイトルはちらほら見られるので、今後も多くのタイトルで積極的にチャレンジしてほしいものです。

閲覧するサイトに自動的にスクリプトを実行して便利に閲覧

Firefoxのアドオンで非常にお世話になってるものがあるので、簡単に紹介。

FirefoxのアドオンでGreasemonkeyというのがある。これをインストールした上で、さらにGreasemonkey向けのスクリプトをインストールすると、任意のウェブサイトを開いた際に、自動的にスクリプトを作動させる事ができるというもの。

どんな事ができるか?基本的にはJavaScriptで出来る事なら大抵の事が可能ですが、イメージしやすいようなわかりやすい例を挙げてみると、

  • ウェブサイト上に書かれたテキストの中で特定の言葉を強調表示させる
    • 例えば漫画コミック発売日一覧表サイトにおいて、無数に列挙される一覧の中で、チェックしたいお気に入り漫画は数冊であり、それだけ分かれば良かったりするもの
    • しかし毎回一冊一冊スクロールして探したり、ページ内検索していくのは面倒
    • そんな時にお気に入り漫画を登録しておけば強調表示されるようなスクリプトも可能で、一目でチェックしたい漫画が見つかる
  • ウェブサイト上のメニューにリンク項目を追加する
    • 例えばYahoo!のトップページから東京の天気ページまで行くには天気→関東→東京とクリックして進んでいかなければならない
    • そんな時にトップページにワンクリックで東京の天気ページへ進むリンク項目を追加したりする事も可能
  • Flickrやブログなどに貼られた縮小画像を、ズームボタンなどを押さずに最初からオリジナルサイズ画像で表示する
    • Flickrやブログなどは基本的には最初は縮小画像が表示されているもの
    • Flickrの場合は、オリジナルサイズで見たい場合はズームボタンをクリックし、次にサイズ選択ページが現れるのでオリジナルサイズをクリックし、ようやく見られる
    • 次の画像もオリジナル画像で見たい場合は2ページ戻って次の画像をクリックし、またズームボタンを押して---としなければいけない
    • そんなサイトであっても、最初からオリジナルサイズ画像が出るようにするようなことも可能
    • ↓筆者が作成したFlickrにて最も大きいサイズを表示させるスクリプト
  • ウェブサイトの背景色を変える
    • 例えばYahoo!のサイトの背景色は白ですが、黒で表示されるようにする事も可能
    • この例は実用性ありませんが、背景色のみならず、ウェブサイトのデザインも変える事が可能(あくまでそのPC上にてFirefoxで見る範囲でだけ見え方を変えられるのであって、ウェブサイトそのもののデザインが変わるわけではない)


このように訪れたサイトの見え方や内容を変えて、ウェブサイトをより便利に利用できるようにする事ができる。膨大な量のスクリプトが公開されてるので「こんな事できるスクリプトがないかな?」と思って探してみれば大抵ありますが、JavaScriptで簡単に書けるので、書ける人ならサクッと書いて以後便利にウェブサイトを利用できるようになるわけです。

またXMLHttpRequestも可能なので、下記の例のような別ページの情報を取得して表示するなんて事も可能。

  • ラーメンデータベースのランキング店舗一覧ページに最寄り駅を追加表示する
    • 昔自分が作ったスクリプトで、今はサイトがリニューアルしたので使えなくなってしまいましたが、こんな事が出来るようにしてました
    • ラーメンデータベースのランキングは県、区などで絞込んで店舗一覧が表示されるが、各店舗の最寄り駅を知るには店舗名をクリックして、店舗詳細情報ページへいちいち進まないといけない
    • これが面倒なので店舗一覧ページを表示した時点で、スクリプトで自動的に各店舗名の横に最寄り駅が表示されるようにした
    • 実現方法をざっくり書くと、XMLHttpRequestを使って各店舗の詳細情報ページのHTMLソースを取得し、そこに書かれた最寄り駅を抽出して店舗一覧ページに追記するようにした


ちなみにGreasemonkeyのように他人が作った任意のサイトでJavaScriptを実行する方法として、ブックマークレットがある。ブックマークには通常URLを登録するが、代わりにJavaScript文を登録する事も可能で、ブックマークを選んだ際に開いてるページに対して実行される。Greasemonkeyの場合はページを開いた時点で自動的に実行されるので、処理内容によって使い分けて活用すると、普段よくアクセスするサイトがグッと便利になる。


スクリプト作りをしてみたい場合は、他人が作ったスクリプトも中身のコードを見る事は可能なので、シンプルなコードなどをダウンロードしてきて参考にしながら試してみると良いと思います。
個人的にGreasemonkeyスクリプトを書く際に使う、定番の処理(関数)は下記となり、この辺りさえ使い方がわかれば、それなりに応用が聞くと思います。

  • 置換処理(replaceまたはsplitとjoin)
    • ページソースの全文なり部分的に置換(全置換)する事が可能
    • 前述の漫画サイトの強調表示などに活用できる
    • 「お気に入りの漫画名」を「<font style=background-color:red;>お気に入りの漫画名</font>」などのように、目立つようにするタグで括る形に全置換すれば良い
  • 文字列の特定部分を取得する(indexOfとsubstring)
    • ページソースやURLなど、文字列から特定部分を取得する
    • indexOfは特定の文字列が何文字目に登場するかを調べるもので、substringは何文字目から任意の文字数分の文字列を取得
    • 例えば「http://www.hoge1234.com/IMG_5623.jpg」という文字列があって、「IMG_」の直後にある数字4桁を取り出したいというような場合に利用できる

XMLHttpRequestの使い方も覚えると、別ページの情報も取得する事ができるため、前述のラーメンデータベースのような事が出来る。またHTMLをオブジェクトとして扱うDOM周りが理解できると、HTMLをどうとでも出来るようになるので理想的。

ちなみに自分がよく多用するのはevaluate関数を使って、ソース内の特定のノードを見つけ、そこを基準に親ノードや子ノードのノード自体や要素を変更する処理。
基本的にGreasemonkey向けに作るスクリプトって、開いてるページを部分的に変える事がほとんどなので、indexOfなどを使って変えたい部分を特定する事が多く、オブジェクトレベルで変更する場合には、たいていはevaluateから処理を始めることがほとんどだったりしている。

FF13-2の「イベント中にカメラ操作できる」機能が中途半端な理由

FF13-2にて「イベント中にカメラを操作できる」という機能について思うことをつらつら。


FF13-2ではゲーム内で様々な条件をクリアする毎に、様々な機能のオンオフができるようになる。敵が出にくくなるとか、ゲームスピードを速くできるとか。そんな中に「イベント中にカメラを操作できるようになる」というものがある。このゲームのほぼ全てをやりつくすくらいに進めないと手に入らない程勿体付けた機能で、その機能の内容を期待したユーザーも多かったはず。
しかし実際にはカメラの位置は変えられずに、カメラの向きを上下左右に最大たったの15度程変えられる程度の無意味と言えるレベルのものでした。
開発者はどうしてそうしたのだろうと思った。


はっきり言ってしまえば、カメラを自由に操作できる事で期待する使われ方の筆頭はエロ的な使われ方だろう。例えばPCの動画ファイル形式であるWMVの普及なんかはエロ動画であったのと同様に、エロが大きく普及要因となることは多い。FF13-2でも自由にカメラを操作できたならば、それだけでそれなりに売り上げが伸びたのは確かだと思う。

考えられる理由としてはCEROレーティングが変わって売り上げに響く事。もう一つは会社のブランド意識だと思うのだけど、「カメラを自由に操作できる」というのはエロとは直接的には関係していない事だし、それ以前に登場するヒロインキャラがショートパンツ的なものをはいてるにしても、非常に短いスカートをはかせてる時点で、そういうチラリズムとしてのエロ要素での売り上げ向上を期待してるとしか思えない。

イベント中の自由なカメラ操作は、他にも演出的魅力が出せると思う。例えば通常のカメラ視点では2人しか映ってない会話シーンで、その場にいるもう一人の表情などが見られる事となるとか。キャラクターの心情を細かく表情にまで活かす作りこみをされていれば、十分な魅力となると思う。まあそこまでして「うちの会社はエロ目的でそんな機能を追加する会社じゃないですよ」とカモフラージュのために頑張るのは変な話だけれども。


何にしてもカメラの向きだけを上下左右15度程度しか操作できないのは何のために導入したのか理解に苦しむ。本当に無意味なレベルに感じるわけで、無くても良いと感じる。予想するに本来は完全自由操作のつもりで開発したものの上の判断で制限がかける必要が出たか、単純に「カメラを操作できる機能があるらしい」という口コミで売り上げ向上を期待したか、だろうか。はたまた中途半端な機能を見せておきつつ、後日有料DLCで「完全操作可能になる!」的なものが出るのだろうか。

タイムトラベルものなFF13-2について考える


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  この記事はFF13-2のネタバレを含みます。
  物語の結末やラスボスをバラすような事は
  書いてませんが、序盤〜中盤の一部シナリオ展開を
  書いてますのでご注意下さい。
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FF13-2はタイムトラベル系で、様々な時間と場所に飛んで事を解決しては、過去や未来に起きた変化によって道が拓けるという展開になっており、非常に楽しめる作品となってました。しかしながらやはりタイムトラベルものというのは様々な疑問が沸くもので、いくつか考えたい事があるので、つらつら書いてみる。


◆予言の書は確定した未来ではないのか◆
ホープと再会し、初めて「預言の書」を見ることになるイベントで思った事。
予言の書で見える未来というのは「確定した未来」ではないかと思うのだけど、違うのだろうか。セラ達のように「時間を飛んで過去や未来を変える事」を除くと、予言の書を見てその未来を防ごうとしても無理なのではないかと思う。
しかし最初に予言の書が登場するイベントの中で、セラたちは時間を越えてこれを防ごうと決意するのに対し、ホープ達は「今」から対策すれば被害を抑えられるかもしれないと決意しているが、ホープ達は時間を飛ばずに行動するのだから何をしても予言の書通りになるのではないかと思う。
しかし予言の書で見えた映像に登場しない範囲の事は「未確定」なのだろう。いや正確には「確定」しているが、ホープ達の知るところでは無い。だからそこには「可能性」に期待できるわけで、コクーンが落下する映像はあっても、人類が滅亡する映像は見えていないのだから、避難させて無事という未来への可能性に賭けるという事になるのだろう。


◆予言の書がもしも存在していなかったら◆
前述の最初に予言の書が登場するシーンに絡む話題。
もしもFF13-2の世界において予言の書が存在していなかった場合、あのイベント時のホープは「今からコクーン落下に備える」という行動は思わなかったはずである。結果的にはコクーンが落下し、人類滅亡的な結果となっていたはず。
つまり予言の書が存在していたからこそ人類滅亡的な結果にならなかったと言える。前述の「未来は確定している」という事であれば、予言の書が存在する「始まり」があったとしたら、その時点から「ホープが予言の書を見て決断する」という事も確定していたのだろう。
ただゲームの中での展開的には、過去未来を変える力のあるセラ達がホープ達のもとへやってきて、その会話による影響によって初めて「ホープが今からコクーン落下に備える」という「変化した未来」が確定したのかもしれない。


◆予言の書越しにホープを叱ってデミ・ファルシ製作中止したシーンを考える◆
セラ達がデミ・ファルシに勝てず、過去にて予言の書を見ているホープ達に向かってセラが叱るシーンがある。これによって過去のホープはデミ・ファルシ製作を中止し、その結果、セラが戦っていた未来においてデミ・ファルシが存在しなくなった。
叱った際、過去のホープの場では何が起こったのだろう。ホープは予言の書を見ていたら、その映像の中でセラに叱られ、それをきっかけにデミ・ファルシ製作中止を決断して未来が変わったのだと思うが、つまり決断した瞬間に予言の書の映像も異なる未来を映し出すように変わったのではないかと思う。
決断を変える事で未来が変わって予言の書の映像も変わるならば、予言の書を見ながら様々な決断を思い浮かべつつ、変化した映像を見ていけば最適な未来への決断がわかるのではないだろうか?
恐らくそれは不可能で、前述の通り「予言の書は確定した未来」であって揺るがないものであるだろうから、あのシーンに限っては「過去未来を変える力があるセラ達の映像」だったからこそ、例外的にホープの決断でも未来が変わったのだろう。
ちなみにデミ・ファルシ製作を中止した時点で、デミ・ファルシと対峙していたセラ達がいる未来では、デミ・ファルシが存在しなくなるだけでなく、もっと様々な変化があったはずであり、セラ達が立っていたアガスティタワーが消えてもおかしくはなかったのではないだろうか(アガスティタワー自体はデミ・ファルシとは無関係に建造されたものなので、丸々無くなる事は無いが、デミ・ファルシ向けに拡張された階があったとしたら部分的に消えてもおかしくはない)。
逆に無かったものが現れたりしたら、セラ達はコンクリートの中に生き埋めになるとか、そういう可能性も大いにあったと思う。つまりセラ達は予言の書越しに過去の第三者に未来を変えてもらおうとするのは、非常に危険である説を挙げたい。


最後に頭の中をこんがらがせてみよう。

セラが叱る

過去のホープがデミファルシ製造中止を決断

(叱る必要性が無くなるので)セラが叱る未来が無くなる

(叱られてないので)過去のホープがデミファルシ製造中止の過去が無くなる

(ループ)

こんな風にならないのだろうか。
さらには、セラに叱られて製造中止を決断して未来が変わった事で、叱られる必要がなくなったホープなのに、「過去に叱られた」という記憶が何故か残っている。つまりホープの時間軸的には「デミ・ファルシは製造してない」のに、「デミ・ファルシを作った未来」は消失せずに、事実としてあったことになるという不思議な事になっている。この辺りの「未来に立っている状態で過去の人に未来を変えさせる」という展開は、よくあるタイムトラベルものでも見た記憶が無い展開なので新鮮さを感じた。