形だけの謝罪でいいのか

何らかの被害を被った際。例えば二組の親子の間で、相手の子が自分の子に怪我をさせたりした際に「こっちは被害者なのよ!いいからさっさと謝りなさいよ!」とガミガミ騒いで謝らせたがる人がいる。仮にガミガミさんと命名するが、このガミガミさんの本心を考えてみる。

その場で即謝らせるという、考える時間もロクに与えない行為が、反省して本心から謝る事にはほぼならない事は、頭が沸騰しているガミガミさんでもうっすらわかっているだろう。でもとにかく謝らせたい。なぜか。

恐らくは苦痛な思いをさせられたガミガミさんは、本質的には反省してもらいたいのではなく、相手にも苦痛をあわせたい(=不快にさせたい)のと、相手よりも上の位置に立ちたい事の二つではないかと思う。それゆえ謝罪させるという事によって屈辱感を与え、優位性を得る事となる。

そんな黒い本心が動機である事を自分自身でも認めたくない為にも「悪い事を正す正義行為をしている」という考えで覆い隠しているように見える。さらには実際には謝罪しても文句言いつつ去るのだが、頭の中では謝罪のみで許してあげる心優しい自分というものに、優越感も感じているだろう。そのくらい自分をだましてでもしないと気が済まないのだと思う。

そんな偽りを得るだけに終わる故に、腑に落ちないモヤモヤ感、イライラ感が残る結果となる。


確かに大人であろうとも子供であろうとも、自分の非を認めるという事は難しいことであり、考える時間を与えたとしても、反省して本心から謝ってくれる事など恐らく少ないであろう。謝らずにそのまま忘れる人も多いだろうし、そうなると上記の通り、納得はしてなくても強制的な謝罪をさせる事で、それだけの事をしてしまったのかもとうっすらとでも感じさせる方が、加害者側にとってもいいのかもしれない。

どちらの選択肢がベストかはわからないけど、結果ケース的には考えさせて謝らせる事がベストであろうから、せめて互いが知り合いで話の通じあう相手であれば、考えあう時間を設ける選択肢も検討するのが良いかと思う。特に仲の良い親同士であれば、加害者親が「ほら、謝りなさい!」などと言おうとするならば、むしろストップをかけて、子供に考えさせる提案をしてみるのがいいと思う。もちろん被害者側の子供にも、すぐに謝らせなかった理由を説明をしないといけないけれども。